戯言垂れ流しを再開したい。文字を綴っている間だけは私の中にわずかに残された知識が活性化するように感じられる。だからそれを恒常的な作業として続けていきたい。
あらゆる分野において、フィードバック学習というのは能力向上の鍵となっているように思える。私はその学習の輪を断ち切ることによって呆けた人生を送っている。
- 2012/01/11(水) 10:28:11
-
-
トラックバック:0
-
コメント:0
最近の私は馬鹿になってきているような気がする。それは思考の単純化である。そもそも思考をしているのかすら怪しいものだ。思考というものはよくわからないが、おそらくそれは論理的に複雑なことを頭の中で転がしたり、柔軟な想像力をはためかせて此処にないものを見たりすることができるものなのだろう。しかし、そのためには活力のようなものが必要とされている。しかし、私自身の脳を動かすことへの抵抗は日々高まってきている。これはつまり、私の活力が日々衰えつつあることを表している。ではその活力とは何なのか。活力とは思考の推進剤であり、睡眠を妨げるものであり、泥の中に沈む私をこの世に適合する一つの生命体として生き延びさせてくれる何某かの力である。それが欠けていること、それはすなわち私には生きていく力がなくなってきているということだろう。活力がないと例えばこんな症状が出る。
一、朝起きられない。
二、視界に入ってくる情報を積極的に取り入れようとしなくなる。よってまぶたを半分とじて今にも死にそうな顔をしている。
三、表層の意識の中に保持できる記憶領域が小さくなる。すなわちメモリ不足である。私はこれに一番悩まされている。これは比喩的な意味での視野の狭さにつながる。
四、性欲の垂れ流し、流束は極めて小さい。
五、夜寝る気力が起きない。なぜならば昼間から常に寝ているからである。ある意味慢性的な超睡眠症候群である。
先に述べた視野の狭さ、記憶領域の狭さというのは実に深刻で、実際、私はなぜこのような文章を書き始めたのかが思い出せないし、最初のほうでどんな言葉を書いていたのかさえも思い出すことができない。
- 2011/10/12(水) 12:02:18
-
-
-